あの人と出会ったのは、偶然だったのかな。
ふと、そんなことを考える瞬間があります。
たとえば、同じ電車に乗ったこと、
たまたま隣の席になったこと、
友人の紹介で出会ったことなど。
どれも小さなきっかけでしかなかったはずなのに、気がつけばその人のことが頭から離れなくなっていた。
そんな経験をしたこともあるかもしれません。
「会うべき人とは、会うものなのかな」
それは、絶対の答えがある問いではありませんが、
それでもこれについて整理してみることで、
気持ちが少し落ち着いたりするかもしれません。
運命とは何か、必然とはどういうことか。
あまり難しく考えすぎず、
「そういう考え方もあるよね」、
そんな気持ちで読んでもらえると嬉しいです。
「会うべき人」とはどういう意味だろう
「会うべき人には、必ず会える」という言葉を、
聞いたことがある人もいるかもしれません。
出会いには意味があって、
偶然に見える出来事も、
実は何らかの必然性を持っているという考え方です。
名言として紹介される近い言葉もあり、
「縁」というものに関係するものですから、
この考え方は仏教の思想に由来するとも言えるかもしれません。
この「会うべき人」という表現には、
いくつかの意味が込められているように思います。
ひとつは、
自分の人生に大切な影響を与えてくれる人。
恋人や親友だけでなく、
なにかを教えてくれた人や、
ほんの一言が心に残った見知らぬ人も、
そこに含まれるかもしれません。
もうひとつは、
そのタイミングでなければ出会えなかった人。
1年早く出会っていても、
1年遅くても、
きっと同じようにはならなかった。
今この時期に出会ったことに、
何か意味があるような気がする、
そんな感覚を持つような相手のことです。
どちらの意味であっても、
「会うべき人」という言葉には、
その人と出会ったことを大切にしたい、
そんな気持ちが感じられます。
運命という考え方は、あってもいい
「運命を信じるのは非科学的だ」
という意見もあります。
それもひとつの考え方です。
でも、「運命かもしれない」と感じることで、
その時々の心が安らぐなら、
その感覚を否定する必要はないとも思います。
心理学的な視点から見ると、
人は「意味のある偶然」に敏感な生き物です。
スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングは、
この現象を「シンクロニシティ(共時性)」と呼びました。
因果関係はなくても、
意味のある形で出来事が重なること。
ユングはそれを、
偶然以上の何かとして捉えていました。
科学的に証明できるかどうかは別として、
「あのとき、あの場所で出会えたのは、何か意味があったのかもしれない」という感覚は、
人間にとってとても自然なものです。
その感覚を大切にすることは、
何かを信じ込むこととは違います。
ですから「会うべき人」という考えを持つことは、
「ただ出会いに丁寧でいること」と、
言い換えることができるかもしれません。
出会いには、「準備」が関係しているかもしれない
ひとつ、こんな視点を紹介してみます。
「会うべき人には会える」という言葉を、
「待っていれば自動的に出会える」という意味に受け取る人もいます。
でも、少し違う角度から考えてみると、
出会いには「自分の状態」も関係しているのかもしれないという見方があります。
たとえば、心が閉じているときは、
目の前に素敵な人がいても気づかないことがあります。
反対に、自分の状況が少し変わったとき、
同じ場所に同じ人がいても、
「今この人と話してみたい」と感じることがある。
出会いは相手だけで決まるものではなく、
自分がどんな状態にあるかとも、
深く関わっているのではないでしょうか。
自分を磨けば運命の人に会えるなんて、
そんな単純な話で片付くことではありませんが、
自分の気持ちが少し整ってきたとき、
同じ景色がちょっと違って見えることがある。
それは、多くの人が経験することでもあります。
必然性について、静かに考えてみる
「必然」という言葉は、
ぱっと見で少し重く感じられるかもしれません。
もしすべての出会いが必然だとしたら、
うまくいかなかった恋や、
それによって傷ついた経験も、
すべて「必要なことだった」と受け入れなければいけないのか。
そう考えてしまえば、
苦しさの含まれた言葉でもあります。
ですから苦しく捉えるのではなくて、
前向きに使ってみることはどうでしょうか。
必然性の考え方は、
「それが正解だった」という話ではない。
傷つかなくてよかったものを、
「必要な痛みだった」と無理に意味づけすることは、
自分を苦しめてしまうだけです。
少し時間が経ったとき、
「あの出会いがあったから、今の自分がある」
そう感じられる瞬間が訪れることもあります。
そのことには後から気づくものであって、
その時にそう思うのはとても難しいことです。
「必然」を悪いことの反省に使うのは、
無限にできてしまってつらいものですから、
「今への良いつながり」として、
使ってみることもよいかもしれません。
タイミングと縁の話
恋愛においてよく聞く言葉に、
「縁があれば、また会える」というものがあります。
一度離れてしまった人と、
また別の形で繋がることがある。
それを経験した人には、
「やっぱり縁があったんだ」と感じられるかもしれません。
縁とは何か、を科学的に説明するのは難しいことです。
でも、人と人が繋がる仕組みの中には、
「共通の場所や関係」が大きく関わっています。
同じコミュニティ、同じ趣味、同じ価値観。
そういった共通点があると、
自然と繰り返し顔を合わせることになる。
それが「縁」として感じられることもあります。
スピリチュアルな意味での縁を信じるかどうかは、
人それぞれに任せられたことですが、
「縁を大切にしたい」という気持ち自体は、
出会いを大切にすることと同じなのではないでしょうか。
「まだ会えていない人」への気持ち
「まだ私は、会うべき人に会えていないのかな」
と感じている人もいるかもしれません。
たとえば出会いを求めているのに、
なかなかうまくいかったりすれば、
焦りや不安が出てきても、おかしくありません。
まだ会えていないという事実は、
「会えない」という意味ではありません。
時期というものがあって、
今はまだそのタイミングではないだけかもしれない。
それは、自分に何かが足りないからでも、
努力が足りないからでもない。
今がそういう時期であるだけという見方もできます。
焦らなくていいと言いたいわけではありません。
焦る気持ちも、
会いたいという気持ちも、全部大切なものです。
その気持ちを抱えることを悪いことだと思わないでもいい、
と言いたいということです。
出会いを「待つ」だけではなく、「感じる」こと
運命や必然を信じるというのは、
「待っていれば何とかなる」という、
受け身の姿勢とは少し違うものかもしれません。
日々の小さな出会いに、少しだけ丁寧でいること。
ある人に初めて話しかけてみること。
その人にもう一度連絡してみること。
そういった小さな行動の積み重ねの中に、
大切な出会いが潜んでいることがあります。
「会うべき人には会える」とは、
何もしなくてもいい、という意味ではないかもしれません。
自分が動いた先に、
その出会いが待っていることもある。
運命と行動は、対立するものではなく、
一緒に存在して、影響し合っているものではないでしょうか。
これに関係する問い
「会うべき人と、もう出会っているのかもしれない」と思ったら?
それは、とても大切な直感かもしれません。
理由がうまく言えなくても、
「なぜかこの人のことが気になる」という感覚は、
無視する必要はありません。
今は理由になっていなくても、
「なにかが心のセンサーにひっかかった」
という状態になっていますから、
その気持ちを少しずつ確かめていくことが、
次の一歩につながることがあります。
別れた相手が「会うべき人」だったのか、今でも気になります
たとえ別れても、
その出会いに意味がなかったとは思いません。
その人と出会ったことで、
自分が変わったこと、
なにかに気づいて育ったこと。
そんな成長が確かにあったはずです。
「会うべき人だったかどうか」よりも、
その出会いが自分に残したものを、
振り返ってみるのもいいかもしれません。
運命を信じていいのかどうか、迷っています
信じることを強いられる必要はありません。
「そういう考え方もあるな」という程度に、
心に置いておくだけで十分です。
運命を信じることが心の支えになるなら、
それでいいのではないでしょうか。
そういったものを信じなくても、
出会いを大切にしたいという気持ちがあるなら、
それもまた美しいことだと思います。
出会いは、あとから意味を持つことがある
「会うべき人には、会うものなのか」という問いに、
明確な答えはありません。
でも、それについて考えることは意味があります。
出会いに対して丁寧でいたい、
という気持ちを確かめることができて、
誰かとの関係を、
もう少しだけ大切にしようと思えるからです。
運命も必然も、
最初から分かるものではありません。
ただ、振り返ったときに、
「あの出会いがあってよかった」と感じられる瞬間が、きっとあなたにも訪れると思います。
今すぐにわかることではありませんから、
気持ちを急がせないで、
ひとつひとつの出会いが意味を持つのを、
ゆっくり待っている日があってもよいかもしれません。



